さまざまな匠との出会い。それは、120 余年の歴史を持つ黒川鞄工房にとって大切な進化の証となります。
その軌跡となるストーリーの数々をぜひご覧ください。
日清日露戦争の明治時代に勧工場として誕生。さまざまなお客様の声にお応えするべく進化とともに歩んできた120余年。その歴史は、子供の成長を考えた「はばたく®ランドセル」を開発し、「子どもの健康を科学する企業」として歩み続けています。
それは鞄をこよなく愛する造り手とユーザーという、立場の違う二人の縁。IT業界に従事する鞄博士こと太田垣氏は、工房に赴き、職人との対話を楽しみ、鞄業界の通訳者のように多くのユーザーに興味深い鞄談義を披露。鞄業界の応援団長として黒川鞄の未来を語る。
幕末から明治にかけて多くの外国人と共に上陸した鞄。当時、まだ「鞄」という言葉はなく、“トランク”と言ったり“革文庫”と言っていたりしていた時代。見様見真似で作り始めた明治初期頃より、日本の「鞄文化」は始まった。
諸説ある“かばん”という「言葉」の誕生。いづれも裏付ける証拠はないが、“鞄”という「文字」は、革と包の二文字で表記していたのが始まりだという。一文字に組み合わせたのは、老舗「銀座タニザワ」さんであるという記録が昭和初期の文献に残っている。
手づくり感を残しつつ、大量生産を実現した工房系。制作できる数に限りがありながらも、職人が一つ一つ丁寧に手づくりを行う日本で最古、そして最後のランドセル工房「黒川鞄」。そのこだわりの秘密とポリシーを語る。
代々伝わる職人の世界。それは茶道や花道の世界と同様に流派の存在がある。指物師であった山村長三郎氏は革の鞄をつくることに長けていた鞄職人の先駆け。その息子や弟子が「山」の字を受け継ぐ流派となり、黒川鞄工房の職人もまた、一子相伝の伝統を守りながらランドセルをつくり続けている。
まさに都会のど真ん中という立地にある「紙パルプ会館」。黒川鞄工房がこのビルに入居したことから、銀座のビルの屋上で養蜂を行う「銀座ミツバチプロジェクト」との不思議なご縁は始まりました。その出会いから今も続く意外な関係までを語る。
食肉文化の副産物である「革」は、人類の知恵が生んだサステナブルな素材として存在し続けている。環境指標の生き物である「蜜蜂」は、“アーバン・ビー・キーピング”という活動の広がりの中、多くの期待が集まっている。みんなの目標であり、それぞれの取り組みがあるSDGsへの思いと願いを語る。